島根県安来市清水町 清水羊羹元祖 黒田千年堂の下僕のブログです

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『ピンポンさん』 読了



荻村伊智朗という方をご存じでしょうか。

卓球をしている人間でこの人の名を知らない人はいないと思いますが、

一応ウィキの記事を引用しておきます。

静岡県出身。都立第十中学校在学中に卓球を始める[1]。その後は東京都立大学に入学し、転学した日本大学芸術学部映画学科を卒業。

1953年に全日本選手権 男子シングルスで優勝すると、1954年のイギリスウェンブリー及び1956年の東京で行われた世界卓球選手権で優勝した。シングルス・ダブルス・混合ダブルス・団体あわせて12のタイトルを獲得。引退後、中国やスウェーデンへの指導など国際的な卓球の普及に努めた。『卓球はチェスをしながら100m走をするようなもの』という言葉を残し、これにジャン=フィリップ・ガシアン(フランス)は共感した。

後に日本卓球協会常任理事となり、後藤鉀二会長と共に1970年に訪中。周恩来とも会談し、1971年の世界卓球選手権名古屋大会への中国復帰に尽力した[1]。

1987年に第3代国際卓球連盟(ITTF)会長に就任。国際卓球連盟会長として1991年に開催された第41回世界卓球選手権千葉大会では、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国による統一コリアチームの出場を実現させた(同大会では女子団体で統一コリアが優勝している)[1]。ITTF会長と同時に兼任していた日本オリンピック委員会(JOC)国際委員長としては1998年の長野冬季オリンピック招致に尽力した[1][2][3]。

また彼は卓球のイメージアップを図り、青い卓球台の導入、ラージボール卓球の開発、普及も行った。

また祖父が長野県木曽郡楢川村(現・塩尻市)出身であった縁もあり、1995年に楢川村の名誉村民に推挙されている[4]。また塩尻市では毎年、荻村伊智朗を記念して楢川荻村杯オープン卓球大会を長野県卓球連盟の主催などで開催している。

1994年12月4日、肺がんにて死去。62歳没。没後の1997年に田中利明、松崎キミ代、江口冨士枝らと共に世界卓球殿堂入りを果たした[5]。ジャパンオープン卓球選手権大会が荻村の死後に荻村杯国際卓球選手権大会に改称され、国際卓球連盟公認プロツアー公式戦として開催されている。


『ピンポンさん』はまさにこの萩村さんの評伝です。

野球から卓球に転向したものの「才能がないから辞めた方がいい」と切って捨てられたり、

他者を寄せ付けない性格が災いしてチームメイトから反感を買ったり、

狂気じみた練習、暴言で周りから人がいなくなったり、

まあすさまじい人ですね。

卓球に人生すべてを賭けている、というより、

卓球するために生きている、卓球に必要ないこことはすべて排除するという姿勢なので、

まさに冥府魔道を地で行ってらっしゃいます。

読み物としては大変面白かったのですが、実際こういう方が近くにいたらたまらないでしょうね。












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